Program課題解決できる医師を育成するための教養教育プログラム
:新しい「行動医学」教育
昭和大学医学部医学科1〜2年生向けに、新しい教育プログラムを実施する。大きな特徴として以下の3つがある。
1、行動科学・心理学・社会科学・医科学などリベラルアーツ関連の領域を融合した「行動医学」の知識を基にする。
2、教養教育関連領域の講義と少人数対話型形式のディスカッションを繰り返すことで、医学生を自己啓発していく。
3、本格的な医学専門教育や臨床実習が始まる前に、「課題解決アプローチ」をするための態度を身につける。
医学教育はどうしても、専門知識の詰め込みや、正答があることを前提とした教育に傾きがちである。しかしながら、実際の医療・保健指導の現場では、「あちらを立てれば、こちらが立たず」で、矛盾に満ちた状況に置かれることが、しばしばある。そうした場合であっても、限られた時間・スタッフ・医療資源の中で、最適と思われる選択をし続けなくてはならない。本プログラムでは、その問題点や厳しさを医学生と議論していく。
患者や地域住民の不健康な生活習慣を変容するために、個人・現場・地域の各レベルにおいて、科学的なエビデンスに基づいた実効性のある解決策を立案・実施できる医師の育成を目指す。
※採択時の組織名は「昭和大学ストレスマネジメント研究所」

活動レポートReport
グローバルスタンダードに則った行動医学を日本に定着させる
昭和医科大学では2024年度から、教養課程にある1・2年生に対して、課題解決アプローチに基づいた新たな「行動医学教育プログラム」を実施している。「行動医学」とはやや耳慣れない言葉かもしれないが、本プログラムを主導する昭和医科大学ストレスマネジメント研究所所長・中尾睦宏教授は、「各人がセルフケアを実践し、望ましい健康行動に変容することで、主体的に病気を抑止・抑制できるという考えに基づく学問です。それにはバイオロジー(生物学)、サイコロジー(心理学)、ソーシャロジー(社会学)を結合させた学びが必要です」と語り、分野の壁を越えたリベラルアーツ教育を基とする教養課程との親和性を説く。
日本ではあまり馴染みのなかった行動医学だが、ここ10数年来、医療系大学カリキュラムにおいて急速に注目されるようになった。その背景にあるのが、日本の医学教育における「2023年問題」だ。これは2023年以降、国際基準で認定を受けた医学校の卒業生でないと、アメリカの医師国家試験の受験ができなくなるというもの(新型コロナの影響で2024年に延期)。その認証基準において、これまで日本の医学界で必ずしも十分に認知されていなかった行動科学・医学という分野が必須要素となったのだ。
中尾教授は、2000年前後にハーバード大学医学部心身医学研究所で行動医学に出合い、患者を疾患のあるなしだけではなく、その心理的・社会的背景までしっかりと意識して一人ひとりに寄り添う医療の姿に衝撃を覚えた。2001年の帰国後は、アメリカでの師と仰ぐベンソン教授と交わした、行動医学の日本における普及啓発という目標を胸に、帝京大学において心療内科外来や公衆衛生専門職大学院を設立。その後、国際医療福祉大学医学部への移籍を経て、2023年、昭和医科大学で「ストレスマネジメント研究所」設立という目的をついに叶えた。しかし、中尾教授にとってこれは夢へと向かうほんのスタートライン。日本における行動医学の本格的実践はこれからだと気を引き締める。
「2023年問題への対策により、国内全ての大学医学部に行動医学のカリキュラムが取り入れられました。しかし、系統立てて指導する教職員の数もまだ少なく、学問としてのスタンダードが残念ながら確立していません」と中尾教授は日本の現状を説明する。大学によって公衆衛生学寄りになる場合もあれば、心理学色が強いケース、学生の生活指導の延長に近い授業もあるという。本プログラムが目指す先には、グローバルスタンダードに則った教育メソッド、コンテンツの作成と学内定着にとどまらず、広く学外への普及までが含まれている。
「私自身、日本行動医学会の理事長という任にあり、要望があれば各大学へ赴いて講義をしています。また地方の高校や中学などで講演をしたこともあります。行動医学を学内だけではなく、広く世間に知らしめる活動に尽力しています」(中尾教授)。
ストレスマネジメント研究所所長・中尾睦宏教授:東京大学医学部助手の後ハーバード大学医学部講師(心身医学研究所)。帰国後、帝京大学、国際医療福祉大学を経て2023年、昭和医科大学ストレスマネジメント研究所所⾧に就任(https://www.showa-u.ac.jp/research/ism/)
他大学や社会への横展開、学内の専門課程や高校への縦展開も
昭和医科大学では、「行動医学教育プログラム」の教養科目として、1年次の「行動医学Ⅰ(人の行動と心理)」を設置してあり、医・歯・薬・保健医療学部の全4学部生が必修で受講している。また医学部では2年次の「行動医学Ⅱ」も必修となっている。いずれも知識を蓄える座学と、ディスカッションやロールプレイを取り入れた少人数対話型形式のグループワークを組み合わせた実践的な授業を展開している。学生たちは、医師役と患者役を交代で演じるなどして、患者の立場に立って考える訓練を積む。特に1年生は、山梨県の富士吉田キャンパスで学部混合の全寮生活を送るため、チーム医療をベースとした行動医学の基礎を学ぶには最適な環境と言える。
プログラムの目標達成度は、毎回の講義レポートやグループディスカッションの成果を基に、コンピテンシー評価を取り入れて客観的に評価・採点している。このコンピテンシー評価基準は、アメリカでの認定基準を基にして、帝京大学時代から作り上げてきたもので、期初と期末での学生の変化を数値化。リーダーシップや多様性の受容といった多くの項目で、学生たちの能力が向上していることが確認されている。「評価は全学部生に対して行っています。特に1年次は全寮制ですから、アンケートを取るにも都合がよい。学部ごとの比較もできるようにしています」と中尾教授。しかし、決してデータだけを頼りにしているわけではない。学生たちが主体的に、楽しそうに授業に参加している姿が、最も重要な指標だという。「昔の学生に比べれば、高校時代の探究授業の影響からか、グループワークなどでもよく発言するようになっていると思います」(中尾教授)。
1年生が全寮生活を送る富士吉田キャンパス
https://www.showa-u.ac.jp/about_us/campus/fujiyoshida.html
2年生になると学生は寮を離れ、品川区の旗の台キャンパス、横浜キャンパスへと移る。全体のカリキュラムも学部ごとに分散され臨床実習なども始まるので、行動医学の科目においても、各現場で応用できる知識やアプローチを意識したものになるという。「病院も併設されていますから、実際の患者を招いて体験談を聞くという“生きた授業”も行っています」(中尾教授)。
本プログラムは教養教育を対象としているため、1・2年次までのカリキュラムとなっているが、医学部においては、本プログラムの枠外ではあるものの、3年次以降も行動医学の授業は続けられている。今のところ他学部においては、カリキュラムの編成上継続は難しく、知識ベース、ディスカッションベースまでしか対応できていないという忸怩たる思いが中尾教授にはある。「他大学や社会への横展開とともに、学内の専門課程や高校など、上下の縦展開も考えていきたい」と語る中尾教授にとって、目下の課題は人手不足。現状では行動医学の授業を、研究所に所属する中尾教授を含む3人の教員で担当しているが、今後学内外を問わず、教員向けの専門講座や教育ウェビナーを定期的に開催し、行動医学が実践できる教員の育成に努めていきたいとしている。また、以前に勤務していた帝京大学や国際医療福祉大学の医学部教育担当者とも連携し、教員の相互派遣や連携強化を図るほか、日本医学教育学会や日本行動医学会などが中心となって行動医学教育のガイドラインを策定し、プログラムの自律的定着と発展に向かう体制を築きたいという目標もあるという。
行動医学の講義の様子(医学部2年生)
知識偏重に傾く日本の医学教育を改革したい
中尾教授が日本で行動医学を広めたいとする根底には、知識偏重に傾く医学教育を少しでも改革したいという思いがあるという。「行動医学の専門家を多く育成したいという目的ももちろんありますが、今後さまざまな専門分野に進むにしても、行動医学の入り口だけでも知っておくことで応用が利くことが必ずあります」と中尾教授は語る。学生のうちはどうしても理詰めの勉強が中心となるが、実際には患者一人ひとりで症例は異なり、その人の生活習慣まで入り込んでいかないと正しい診療はできない。チーム医療の大切さやリーダーシップ論も含めて、大局的に考えられる医療従事者を輩出するために、限られた時間内で学生たちにその種を一粒ずつ植えてきたいと考えている。
そうした考えから、開発したeコンテンツなどの教材は同大学内だけでなく、教授が非常勤で担当する他大学での授業にも積極的に利用。また本プログラムの実践内容に関しては、日本行動医学会をはじめ、日本心身医学会、日本心理医療諸学会連合会、日本医学教育学会などのさまざまな学術集会や講習会の場を利用して公表し、2026年度には本プログラムの啓発を目的としたシンポジウムも企画している。また2027年度に予定される同大学の川崎市鷺沼へのキャンパス移転を見据えて神奈川県と連携推進契約を結び、住人のヘルスリテラシーの向上とセルフケアを推進する未病プロジェクトの一環として「行動医学的アプローチを用いた新たな医学部教育」をテーマとした啓発活動に繋がる取組みも開始している。
「キャンパス移転はプログラムの自走が始まる年度ですので、これまでいろいろ試行錯誤してきた取組みを、新カリキュラムとして立ち上げて軌道に乗せていく良い契機と考えています」と今後の抱負を語る中尾教授が学生たちに常々言って聞かせていることがある。それは、「行動医学は自分の健康を守るにも大切だし、患者さんの指導にも役立つ。何よりもいいことにお金がかからない」ということ。つまり、必ずしも最先端の医療技術に頼らなくても、健康を維持したり、病気を重症化させないことは可能で、それがひいては年々膨大に膨れ上がる医療費の適正化を図ることにも繋がるという教えだ。これは中尾教授がベンソン教授から授かった行動医学の真髄であり、これからの日本の医療を照らす一つの道しるべとして学生に伝えたいことなのだという。
左上:ベンソン教授の本(Herbert Benson, Miriam Z. Klipper. The Relaxation Response (English Edition). William Morrow, U.S.A., 2000.)、左下:中尾睦宏, 熊野宏昭, 久保木富房(翻訳). リラクセーション反応. 星和書店, 2001.)
右図:ベンソン教授から授かった行動医学の真髄:「健康を支える三脚としてのセルフケアの推進」のイメージ図